開業してまだ4番目か5番目の列車に乗って、ウルムチからアル・マアタを目指した。大阪から船で上海に渡り、陸路でパリまでユーラシア大陸を横断する旅だった。ソ連崩壊直後のどさくさで、偽造ビザで中央アジア諸国も巡ることができた。
“ヨーロッパ唯一の仏教国”に魅せられて、カスピ海の北西岸に面するロシア連邦カルムイキア共和国を訪れた。初回は1993年。ソ連時代の影響で仏教寺院などまだなかった。その後に立派な仏教寺院が建立された。民族意識の高まりを感じた。
ロシア極東のアムール河流域にはナーナイ民族が暮らす。最初のシカチ・アリャン村への訪問は1995年だった。その後2008年からは、現地にある古代の岩面画群を観光資源とした村おこしの手伝いのために8年間村に通った。
オタスの杜の跡地を目指して、ユジノサハリンスクからたった1両の客車列車に丸一日揺られてポロナイスクに向かった。オタスの杜とは、日本統治時代に設置された少数先住民の居留地である。その跡地は今ただ風が吹くばかりの雪原であった。